SSブログ

3・11の横浜 [つれづれ]

あの衝撃の日から17日経ちました。

私は、未曾有の大惨事でもありますし、自分の被災など
現地の方に比べたら微々たる苦労でしたので、節電共々
ブログをアップする事を控えておりました。

今日は衝撃の日の私の行動を追ってみたいと思います。

と、その前に、、被災された方々のご無事と
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。



その日は横浜駅周辺にいました。
そして帰ろうと駅の改札に向かいました。
地震に遭ったのは、ちょうど横浜駅の改札を通ったところでした。

震度4ほどの地震はこの関東地方ではたまに経験する震度ですので、
慣れていましたが、今回のは違いました。

私は連れのD橋さんと一緒に行動していました。

地下1階になる改札で、この揺れは!!!
アタマの中ではとっさに「あ、この揺れだと電車が止まる!」と考え、
自然と口に出していました。
横の知らないご老人も私の言葉に自然に反応して
「うん、うん、これは止まる。。」とのたまっていました。

D橋さんは天井が落ちてくることを警戒して太い柱に寄っていました。
私はここ数年、横浜駅の改修工事で鉄骨がいくつも走っていることを
知っていたので、天井崩落の心配はしていませんでした。

揺れが長い間続き、電車がストップしたことの構内アナウンス。
そして、地上に出てください、と続いてアナウンスがありました。

地上はもう人々でいっぱいでした。
横浜西口ダイヤモンド地下街、東口の地下街もお店が閉店を始め、
シャッターを降ろし始めていました。

ふと、建築中のビルを見上げると相当の高所で鉄骨が吊り下げられたまま
ブラブラと揺れていました。たぶんそこの作業員も待避していたと思います。


すごい人混みの中、とりあえずの休憩場所を確保したく、D橋さんと
手分けして、西口のドトールやスターバックス・コーヒーに席を求めました。

コーヒー店も駅や地下からあふれた人を収容するかのように、すごい
長蛇の列になっていました。

ドトールで列に並んでいた私は二人分の席を確保してD橋さんを待ちました。
スターバックスに行っていたD橋さんは「店内のガラスが割れてスターバックスは
現在、外の席しか座れない。。」と言ってドトールに来ました。

自宅の家族に、、たぶんムリだろうけど、、とケータイから電話をすれども
繋がらず。。

しばらくドトールにいましたが、外では「歩いて帰宅組」の人々が大挙して
歩いています。

そうこうしている内に、ドトールも18時で閉店するとのこと。

そして、外に出て歩く人に駅方面のことを尋ねると
「電車は終日運休になっていますよ。」とのこと。

とりあえず、駅方面に人混みをかき分け向かって行きました。

駅構内のテレビをそこで目にしました。
そこには衝撃的な光景が映っていました。

広大な畑を飲み込んでゆく大きな津波・・

緊急時なのでケータイでちょっとだけ撮しましたが、この時の
状況。。

TS3R0012_R.JPG

画面を見入る人々。。

TS3R0013_R.JPG

混乱する構内。。

TS3R0014_R.JPG

皆、電車が動かないと帰れません。。

TS3R0015_R.JPG

TS3R0016_R.JPG

こういった場面で人々がパニックになると、恐ろしい、、と思いながら。。
ふと横を見ると、電車が動くまで待とうと思うかのごとく構内の地べたに
座る大勢の人々。。

TS3R0017_R.JPG

私は、終日運休と決まった駅にいても仕方がない。。
しかし、歩いても帰るのも難しい、と判断しとりあえず駅から離れることをD橋さんに提案。

私はD橋さんと、あるスクールに通っていました。
そのスクールは横浜駅東口から徒歩10分ちょっと。

スクールにも帰宅できない生徒さんやスタッフがいると思い、スクールに泊めてもらおうと
考えました。

途中で、スクールに固定電話から電話をかけてみましたが、留守電になっていました。
しかし、帰れない人は絶対に存在する、と確信している私は、行くことに懐疑的になっている
D橋さんを説き伏せてスクールまで行きました。

結果、スクールのあるビルの扉は施錠されていました。。
(後日わかったことですが、ビルに被害が出ていると危険なので、ビル近くの公園に
 生徒さんたちとスタッフが避難していたとのことでした。気がつきませんでしたが。。)

仕方がないので、駅方面に引き返して行きました。
その途中で、食料品を調達、、と思ったのですが、帰宅難民や近所の人たちでしょう、
もうどこのスーパー、コンビニも軒並み食料品は売り切れ。。

辛うじてお菓子類は残っていたのでそれを購入。
で、戻る途中である立派な商用ビルの1階に入っているコンビニにも寄りました。
ここは、カップラーメン等が残っており、お湯も用意されていたので、D橋さんは
そこでカップラーメンに湯を入れ、1階の休憩スペースに座ってひと休み。

私は、腎臓に持病があるので塩分たっぷりのカップラーメンは控え、お菓子でガマン。

そこの休憩場所には他に7~8人が休んでいました。

ケータイのワンセグで状況を確認。。

tvk(テレビ神奈川)を見ていると、横浜駅周辺の帰宅難民は5000人、とアナウンサーが
言っていました。

もう、ここで電車が動くまで夜明かしか?と考えていた21時半頃、、
そのビルの安全センターの警備員さんがやってきて、22時に1階の扉を施錠するとのこと。。

ビルを出ないとダメか、、と思った矢先に

「このビルの3階に避難スペースを用意しましたのでご案内します。」

非常時なのでスペースを用意してくれたのです!


立派なビル内はほとんど新築の建物で高級ホテル並でした。
相当に広い大講堂?に案内されました。

TS3R0018_R.JPG

TS3R0019_R.JPG

エアコンも完備されていて、この広いスペースにたった7~8人。。
横浜駅ではその時にも寒さを耐えて構内で電車運行を待つ人々もいたでしょう。
この広さなら、大げさではなく7~800人は入れそうなスペースです。
少し決まり悪くも、幸運を感じながら夜明かしを決めました。

くつろいですみません。。

TS3R0020_R.JPG

連れのD橋さんが安全センター横の非常口を出て、コンビニでお買い物。。
またカップラーメンを食べたかったそうですが、売り切れていたそうで、その代わりに一杯とつまみを。。
私の分も買ってきてくれました。

TS3R0021_R.JPG


そうこうしている内に、自宅の母から電話が、、自宅の固定電話はIP電話の「ひかり電話」なので
停電すると使えない、、自宅の鎌倉市はずっと停電していたのだそうです。
停電から復帰して自宅から電話してきたのでした。。
(ひかり電話は通常の固定電話と違い停電時は機能しない-災害時に使えない可能性-
 これは、ひかり電話を契約するときにNTTに確認したことです。
 災害で停電したときはどうするの?と問うたことがあったのです。
 答えは「使えません。。」。まさにこういうときにダメじゃん!と思いながらも安さにつられて
 契約した私は少し反省。。)

母のケータイも間が悪く、バッテリー切れだったとか。。でも災害時で繋がらない状態だったので
どちらにしても。。母と自宅マンションに被害がないことを確認して電話を切りました。


明日に備えて本格的に寝ようか、と思いましたが目が冴えてなかなか寝付けませんでした。
余震はひんぱんに起こり、建物のきしむ音がします。壊れそうな音ではないですが。。

少しだけ浅い眠りに入り、そして朝を迎えました。

ワンセグでは、JRは午前8時頃に運行との情報が。。

8時半頃に安全センターの警備員さん達にお礼を言い、横浜駅に向かいました。

しかし、情報とは違い、電車が来ない。。

駅の改札を抜けたところで3列に並び、1時間ほどの電車待ち。

その時点で運行できるのは東海道線のみ。

横須賀線と京浜東北・根岸線は止まったままでした。

10時くらいになり、始発2本目と思われる電車に乗れました。

しかし、安全確認をしつつ、徐行運転で、踏切は一時停車で-
通常、横浜駅-大船駅間は15分で着きますが、この時は1時間かかりました。

D橋さんは、さらに先の平塚駅まで-

後日、聞いたところ超満員電車で平塚駅まで2時間以上?はつらいので
途中駅で2回下車して休憩しながら電車を乗り継いだそうです。



結局、私は11時半頃、自宅に到着しました。
ケータイメールに友人が、また、ブログ友だちから、またmixiのマイミクさんから、、
心配メールが山のように来ていました。

すぐに無事の連絡をせねば、と思いつつも疲れ果てていたので
ベッドに直行しました。。


というのが、震災からの二日間でした。

そして、目覚めてテレビを点ける、、そこには大変な現状が。。

直接被災された方たちに比べれば、他愛もない出来事です。
しかし、一生のうちでも忘れられない日になったでしょう。。


震源が相模湾だったら、、私も津波に巻き込まれていたかも
しれません。

今思えば、地下から上がれ、の構内放送、ビルの3階に避難、、
津波を考えてのことだったのかもしれません。


そして、まだ災害は続いています。

被災地からしたら、これも他愛のないことかもしれませんが、
計画停電を数回経験しています。
近くのスーパー、コンビニでは牛乳、卵、食料、トイレットペーパーなどが
売り切れ続出。。

なぜ、この地域でも買い占めが起こるか!
モノが被災地に送られているのならば我慢もしましょう。

一時のパニック状態から買い占めに走っている人たちへの警鐘。。

ウチは家族二人なので、つつましく暮らしていますよ。。

今日と、明日は計画停電がないと言っていましたね。

いつでも協力します!


某球団の某氏が東京Dを使いたい、と聞いたときの憤り。。

民意と選手会とお上の考えに逆らってはイケマセン!

電力事情が一段落するまで、東京Dは使わないで他の球場使えって!


ということで、取り留めもなく長文でスミマセン。
お読みになってくださった方はありがとうございました。


今、スクールの親しい友だちと、被災地支援を考えています。
今晩、友だちからお声がかかりました。

個人的には募金に協力はしています。
もうチョットお役に立てればいいですね。





nice!(7)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 7

コメント 7

takan

ども!
大変でしたね 当時の緊張感が伝わってくる文章でした
まだまだ停電等影響が有りそうですが、頑張って下さい。
大講堂での足と靴の写真ナイスです、不謹慎にも笑ってしまいました・・・
by takan (2011-03-29 20:39) 

あき坊

takanさん、どうもです。

ありがとうございます。
あの時、駅構内に残っていたら
足を伸ばしてくつろぐこともできなかった
でしょう。
それほど、暗い文章にならなくて
よかったです(笑)


naokunさん、nice!どうもです。

by あき坊 (2011-03-29 21:37) 

ku-ken

いろいろおつさまでした
都内の混乱は、経験しないとわからないと思います
ビルやコンクリートに囲まれたなかでの揺れは怖いですし
津波も考えただけで恐ろしいです

そんな時にも日本人は落ち着いて行動できる点は評価できるけど
報道などを見ると救援や支援は後手にも感じます
(現場は大変でしょうし後付だから言えることですが

色々不便はあるけど比べたら些細なことですよね
被災した方々が安心して暮らせる日が早く来ることを願うばかりです

by ku-ken (2011-03-30 01:16) 

legend

毎度です。
いろいろとお疲れ様でした。
しかし、いいスペースを用意していただいて
よかったですね(^^
今も、計画停電等で大変だと思いますが
頑張って下さい!

by legend (2011-03-30 13:53) 

あき坊

ku-kenさん、どうもです。

ありがとうございます。
揺れも怖いですが津波がやはり怖いですね。
横浜駅周辺も湾に近いため、駅構内のテレビ
で津波を見たときにゾッとしました。
本当に被災地の方々の救援・支援はうまく
してほしいです。


legendさん、どうもです。

ありがとうございます。
連れのD橋さんが言っていたのですが、
私が駅から離れようと提案したり、とか、
自分一人で行動していたら今頃どうしていたか
わからなかった、とか言っていました。
本当にいいスペースに保護されたものです。
計画停電、ドンと来いです!(笑)


ろひさん、nice!どうもです。

by あき坊 (2011-03-30 21:10) 

ばん

本当に大変な一日でしたネ。二度とこんな現状に遭いたくありません。
by ばん (2011-04-01 22:51) 

あき坊

ばんさん、どうもです。

本当ですね、天災には遭いたくないですね。
その後の混乱も。。

by あき坊 (2011-04-02 20:33) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。